小市民のイージーライフ

日常生活の様々な話題を綴るブログですがしばらくは小説を書いてみます。

    鮎釣り

     蒸し暑く寝苦しい夜だった。

     家内の横で長男と次男が大の字になっていた。


     僕は次男に寄り添うように寝転がった。

     次男が寝ぼけてしがみついてくる。

     僕は次男の額にじんだ汗をシーツで拭きながら添い寝した。


     その週の土曜日から僕の鮎釣りが始まった。

     早起きをして勝浦川に出かけた。


     鮎釣りは最初のオトリをオトリ店で購入しなければならない。

     オトリ店で最近の釣果情報や釣れるポイントなどの情報も仕入れることになる。


     オトリ店の看板を見つけると僕はドキドキした。

     釣り客が多くたむろしているオトリ店は気が臆して敬遠した。


     行ったり来たりしながら結局一番最初に見つけた民家のようなオトリ店に車を止めると、中から前掛けをしたおばさんが出てきた。

     

    「オトリやね」と訊かれ「あ、はい。二匹ください」とオトリ缶を車から出した。


     水槽から網ですくわれたオトリ鮎がオトリ缶に入れられた。


     一匹五百円なので千円を渡して立ち去ろうとすると「にいちゃん、ブクブクもってないんけ」と言われた。

     心の中でブクブクってなんのことよ? と思ったが「ちょっと忘れてきまして」と答えた。


    「そしたらあんまり遠くに行かれへんなー。このあたりはあんまり釣れへんで」

     おばちゃんが僕の顔をじっとのぞき込む。

     初心者と見透かされたような感じだ。


    「いや、まあ竿が出せたらそれでいいので、このあたりで遊ばせてもらいますわ」

     僕は無理やり笑顔をつくった。


    「そうけ、まあほんならがんばって釣ってください。少し上の赤い橋の周辺がぼちぼち上がってますんでな」

     おばちゃんは目を細めると首にかけていた手ぬぐいを取って大きくお辞儀をした。

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     逃走と行っても行く当てもないのだが、とにかく家内を困らせてやろうと思った。

     街を彷徨ううちに釣具店の看板が目についた。


     そうだ、鮎釣りの道具をそろえよう。

     自分の働いた金を自由に使って何が悪い、と開き直って入店した。


     竿、ヒキブネ、友カン、ベスト、タイツ、タビ、タモ網、仕掛け等々全部で十五万円ほどの買い物をした。

     店のおじさんが喜んで鮎シャツを一着サービスしてくれた。


     正直、気持ちがスッとした。

     このままどこかの川に行って車中泊をして鮎釣りをしよう。

     明日は有給休暇だ。


     店のおじさんにどこの川が釣れるのか訊いた。


    「勝浦川が釣れとんじょ」

     とのことだ。


     入漁券を買い場所を地図で教えてもらった。

     既に陽は落ちきって真っ暗だった。


     僕は行けるところまで行って車の中で寝ようとアクセルを踏み続けた。

     

     ところが暗い山道に入ったところで急に意気地がなくなって、やっぱり帰宅しようと車をUターンさせた。

     

     自宅に着いたら12時をまわっているのに灯がついていた。

     中に入ると家内が起きて居間でじっと座っている。


     小さな声で「ちょっとあちこちうろうろしてた」と言うと家内は黙って僕を見返した。


     何も言わないのが返って不気味だった。


     ボーナス袋をそっと家内の座っている横のテーブルに置いた。

     家内は黙ってそれを手にすると袋の中から金を取り出して数えた。


     数え終わると大きなため息をついて「なんに使った?」と訊いた。


    「鮎釣りの道具に・・・・・・」と答えると「あんた鮎釣りやってた?」と妙に柔らかな口調が返ってきた。

    「これからやる」

     と答えると家内は黙って子供たちの寝ている室に向かった。

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     10月の連休に帰郷した際には祖父は竿を買い換えて軽いものにしていた。

     鮎の漁期としては終盤で多くの釣り人が竿を出していた。


     祖父に「小便するから持っちょいて」と言われ鮎竿を持たされた。

     いきなりバツンッと凄い手応えがあり下手にグイグイと引かれた。


    「早うしもにさがれっ」

     と祖父が小便をしながら振り向いて声を張り上げる。


     僕は足下を確かめながら慎重に瀬を下った。

     が、何度も足下を取られそうになりついにはひっくり返った。


     竿を手放すまいと両手を突き上げて耐えた。

     流されても小さな川なので恐怖心は全くない。


     やっと下手の浅場に到達し掛かり鮎の動きが流れの緩いところで止まった。


     相好を崩した祖父がたも網を持って駆け寄る。

     掛かり鮎は再び抵抗して深みに入ろうとした。


     僕は竿を立ててそれをこらえた。

     祖父が川の中に入って掛かり鮎を追い回しやっとすくい上げた。


     たも網の中でオトリより一回りも二回りも大きな鮎が腹を返した。


     「こりゃでかいわい」

     と祖父が目を細めた。


     僕は全身ずぶ濡れなのに寒さを全く感じなかった。

     楽しい! この釣りは面白いと思った。


     祖父に弟子入りをして鮎釣りのイロハから教えてもらった。

     ただ、僕は転勤族でその時は徳島で働いていて、高知に帰郷したときにしか祖父から直接的な指導を受けられなかった。


     子供の男児二人は小学校に上がったばかりでやんちゃな盛りだ。

     収入も少なく生活は楽ではなかった。


     趣味など楽しめる余裕のない時期に鮎釣りに出会った。

     お金のことで夫婦喧嘩をよくした。


     何が原因かは覚えてないが、離婚をしてやろうとまで思った大喧嘩をしたことがあった。

     ちょうどボーナスの支給日でその頃はまだ現金の入った封筒がそのまま手渡されていた。


     額はよく覚えてないが、手取りは三十万円ほどあったと思う。

     僕はその日帰宅せずにボーナス袋を持ったまま通勤の自家用車で逃走した。


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     鮎釣りは釣りの中ではマイナーな釣りである。

     普通の釣りはハリに付けた餌を魚に食わせて釣り上げるが鮎釣りは違う。


     魚同士を喧嘩させて魚体にハリを引っかけて釣り上げる。

     鮎は川底の石苔を餌にしており、自分のテリトリーに他の鮎が進入してくると猛然と体当たりをして追い払う。

     

     この習性を利用したのが「鮎の友釣り」と呼ばれる独特の釣法だ。


     まず、釣り糸に結わえた直径5ミリ程の鼻カンと呼ばれる輪金具を鮎の鼻の穴に通す。

     鼻カンに繋がれた鮎は釣り人によって操られ、石苔を食んでいる野鮎のテリトリーへと送られる。


     鼻カンに繋がれた鮎をオトリと呼ぶ。

     オトリには釣り針を三本束ねた錨のような引っ掛けバリが仕掛けてある。


     野鮎がオトリに体当たりをすると錨針が野鮎の体に引っかかるという寸法だ。

     水中でもがく野鮎とオトリを素早く引き抜いてタモ網に収める。

     そして掛かった野鮎を今度はオトリとして使用する。

     これが鮎の友釣りだ。


     極意はオトリを如何に自然に泳がせて野鮎のテリトリーに送り込むかだ。

     そのためには長い竿がいる。

     十メートルや九メートルぐらいの長さは必要だ。


     僕が初めて鮎の友釣りをしたのは二十年ほど前のことである。

     お盆休みに高知に帰郷した際に子供らを川遊びに連れて行った。


     傍らでは祖父が鮎の友釣りをしている。

     祖父は興味ありげに見る僕に「ちょっとやってみるか」と竿を持たせた。


     僕は物干し竿のような重たい竿を両手で抱えるように持った。

     しばらくして何となく下手に引かれるような感覚を得る。


    「掛かっちゃあせんか」と祖父に言われて竿を上げたら小鮎が二匹釣り上がってきた。


     なんだこの釣りは、釣れたか釣れていないかもわからない、とこの時はこの釣りをやってみたいという気持ちは全く湧き起らなかった。


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