「よくご存じで。中村からは連載の鮎百河川を見てぜひとも安田川に高瀬名人に来てほしいとの連絡があったんです」
「いやー、あのポン酢醤油は美味しいですわ。うちの家族も大好きで鮎の素焼きにかけても最高やし。行きたいなー」
横で慎也もにっこりと頷く。
「で、どのくらい上がっています?」
慎也が鮎の釣果を訊いた。
「はい。だいたい二十から三十です。ただ、先週馬路地区で八十一匹上げた人がいるそうです」
「へぇ、そら多めに言ったとしても、すごい数やないかい」
と隆人が目を丸くする。
「群れ鮎がいるのですか?」
釣果の話になると慎也の顔が引き締まった。
「いえ、近畿の鮎のように群れてはいません。安田川は下流域は天然遡上主体ですが上流の馬路地区は放流魚です。湖産系はもう釣りきられてしまって追いの渋い海産系ばかりなのですが、中村の話によるとその人だけが特別だと言ってます」
「へぇ、つまり腕ってことですかい」
隆人は自分の腕をポンポンと叩いた。
「八十一匹は凄いですね」
と慎也は腕組みをした。
「えぇ、中村の話ではその人だけちょっと釣り方が変わってるらしくて」
「どんな風にですか?」
「泳がせ釣りの一種みたいで、私も詳しいことは分かりませんが、どんな荒瀬でも囮鮎を巧みに上流に登らせるらしいんです」
「超極細糸でしょうか?」
「はい、それがフロロの〇.四とのことで」
久米の言葉に慎也の眉がぴくりと動く。
「それは糸が太過ぎる。そこまで言ったら嘘になるでぇ」
隆人は笑いながら慎也と久米の会話に口を挟んだ。
「それで中村のいう話では、地元でずば抜けて上手なその人と高瀬名人が対決したら一体どちらが勝つのだろうと、村の鮎釣り師たちの間ではいつか鮎百河川が安田川に来たらぜひ二人に鮎釣りで特別試合を組んでほしいと、いや、そこまではっきりとは言いませんがそんなニュアンスで中村はぜひとも二人で釣りをしてほしいと言っております」
久米は言いにくそうに語尾を濁した。
「おい久米さん、そりゃああんたが雑誌の売り上げを伸ばすために考えたことだろうよ。そんなことやったらメーカーが黙っちゃいないよ」
と隆人は口を尖らせた。慎也はじっと黙ったままだ。
「慎也、そんな企画受けることはできんぞ。もし万が一負けでもしたらメーカーの看板に傷がつくってもんだろう」
隆人が語気を強める。
「俺が負けるって?」
慎也は口元を少し緩めたようにも見えた。
「い、いゃ万が一だよ。何事にも万が一ってことがあるだろうが慎也」
隆人が弱い目を慎也に返す。
「わかりました。その企画お受けいたしましょう」
慎也は腕をほどくとしっかりと久米に目を合わせた。
「お、おいちょっと待てや。そんなこと」
隆人が目を丸くして慌てる。
「あ、ありがとうございます。すぐ、雑誌社の方に連絡を取って準備に取りかかります」
久米の言葉に慎也はこっくり頷いた。
「し、試合はさせへんし、仮にそんなことしてもそこだけはぜったい記事にすんな、ええかっ」
隆人の言葉を聞き流すように久米は立ち上がると、部屋の外に出て電話を始めた。
隆人はショルダーバックから手帳を取り出すと、ぶつぶつ言いながら忙しくページをめくった。