小市民のイージーライフ

日常生活の様々な話題を綴るブログですがしばらくは小説を書いてみます。

    鮎釣り

    僕はひたすらその動作を繰り返した。

    三十分ほど経った時にオトリのスピードが突然グーっと早まった


    瞬間水中でギラリと魚体が返った。

    目印が横に走って竿がしな


    掛かった! 

    僕は一人で声を上げて夢中になった。


    こんなに気持ちのよい掛かり方は今までに経験がない。

    同じことを一日中繰り返した。


    この日、僕は初めて十匹の釣果を得た。


    嬉しくて周囲の釣り人に釣果を訊いてほしかった。

    みんなベテランで十匹など少ない釣果なのかもしれない。

    でも僕にとっては天にも舞い上がるほど嬉しいことだった。


    翌日オトリ店に釣果を報告した。

    オトリ店の話では、昨日は掛かりが渋くみんな十匹から二十匹の間ぐらいだったそうだ。


    僕は胸を張ってまたその釣り場へと向かった。

    鮎釣りが面白くて仕方なく好きで好きでたまらなくなっていた。


    小さな川なので時には子供を連れて行って水浴びさせながら釣った。

    家内は一人自由を楽しむ時間ができるのか帰宅するといつも機嫌がよかった。


    大喧嘩で始めた鮎釣りなのに、いつの間にか家庭を穏やかにするものになろうとは夢にも思わなかった。

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     僕の職場には鮎釣りをする者が全くいなかった。

     故郷で同窓会があったとき友人ら何人かが友釣りをしていることを知った。


     そこで「泳がせ釣り」という言葉を初めて耳にした。

     鮎釣り大会で全国優勝をした大西名人という方が理論化した釣法とのことだ。


     祖父の教えてくれた釣り方は竿を寝かせてオモリでの中にオトリを沈めるやり方なのだが、この泳がせ釣りというのは聞かされた私には全く驚くような釣り方だった。


     オトリは引かれた方向と反対に進むらしい。

     鼻カンで繋がれた糸を後ろに引けば前に、右に引けば左に、左に引けば右にと進む。

     これを自在に操って野鮎のポイントまで泳がせていくというのだ


     そんなことが本当にできるのだろうかと疑った。

     友人が大西名人のビデオを持っているというので頼んで貸してもらった。


     私はそのビデオを食い入るように何度も見た。

     マジックでも見ているようにオトリがポイントまで泳いで行き野鮎が次々と掛かっていく。

     

     これは本当のことなのだろうかと居ても立ってもいられなくなった。


     週末、早速試してみた。

     流れの緩いポイントを選んだ。


     大西名人のように糸を緩めると流れに押されて糸ふけがつくられる。

     するとオトリがムチでも入れられたかのように前に進む。


     前進しかできないが確かにビデオのとおりだ。

     初心者はこの前進だけを繰り返し行うだけでも、釣果が断然違ってくるとビデオでは語られていた。

    週末毎に僕は勝浦川のその場所に通った。

    二回目は瀬では無く流れの緩いところが空いておりそこで数匹釣れた。


    釣果はいつも数匹で一匹も釣れないときもあった。

    僕はみんなが帰っても暗くなるまで竿を繰った。


    強い雨が降っても風が吹いても帰らなかった。

    自分でも独りぼっちなのにどうしてこんなに意地になるのだろう、と不思議にも思った。

    ただ一方で、そうすることによって自分にまとわりついたアクのようなものがすっかり洗い流されるようなそう快感を覚えるのも感じた。


    自分には幼い頃からこのように粘り強くこだわる癖があった。

    とにかく実践あるのみ、とばかり一度やり始めた延々とやり続けるのである。


    中学校の時はマラソンに凝った。

    毎日がむしゃらに走った。


    走れば速くなるだろうと体を痛めつけるように走った。

    人より努力すればそのぶんだけ必ず良い結果となって返ってくるはずだと信じていた。


    勉強などもそうだ。
    全ての科目ができるというタイプではないが、自分が好きになった数学の幾何学などは夜も明けるほどやってテストの点なども先生が驚くほどの点数をとり続けた。

    鮎釣りも・・・・・・そのつもりだったのだがこちらはいっこうに上達する気配無い。
    祖父の指導する釣法は今から思うと前時代的なものだった。

    友釣りの黎明期からある瀬で止めて待つ釣りだった。
    だいたい祖父の仕掛けには逆バリの付いていないものまである。
    100

     私が小説を初めて書いたのは40歳ぐらいの時でした。
     先輩のFさんが東京に転勤して地方新聞の編集責任者になることがきっかけでした。

     Fさんはかねてから私の四コマ漫画の事を知っていて、ぜひ東京に行ったらガバチャにその新聞に載せる四コマ漫画を描いてほしいと言われたのです。

     私は困りました。
     正月に酒を飲みながら40歳にもなって四コマ漫画なんて‥‥‥とその時は思ったのです。

     そこで思いついたのが小説です。
     新聞には連載小説があります。
     書きためしておいて細切れに連載してもらおうと考えました。

     正月の3日間でいっきに書き上げました。
     もちろん小説を書くなどというのは初めての事でしたが全く自分でも驚くほどスムーズに書けました。

     その時に私は夏目漱石の坊ちゃんを模倣したのです。
     私の好きな文体、天才夏目漱石さんのセンテンスの異常に短い小説です。

     小説の中身はあまり好きではなかったのですが
     あまたの小説を読みあさった私にはこの文体が日本文学史上空前絶後の最高な文章だと思っています。

     私の書いた小説は海の環境をテーマにした「南風(まぜ)の海」というものでした。

     正月休みが明けた日に、職場のある小説好きの女性にこれこれしかじかで書いたんやけどちょっと査読してもらえんかな、と頼みました。

     数日後、その女性は
    「驚きました。これはちょっと素人ばなれしています。ほんとに初めて書いたの? もったいないので何かのコンテストに応募したら」
     と言われました。

     それで、その女性と一緒に応募先を探したらちょうど海洋文学賞と言うのが募集されていてそこに出すことにしました。

     その後は、自分でも驚く展開でした。
     結果は佳作でしたが、負けた相手は75歳のドキュメントの方だったのです。

     東京の表彰式で曽野綾子さんが大勢の前で講評します。
     審査員が文学大賞を私のと75歳の方とのどちらにするのかで真っ二つに分かれてものすごくもめました、と。

     審査員は他に北方謙三、リングの鈴木光司などそうそうたる方々です。
     そして、そのなかにはなんと皇室の紀宮さま(現黒田清子様)も含まれていました。

     曽野綾子さんの最後にガバチャさんはまだまだお若いので‥‥‥という下りがありました。
     表彰式の後のパーティで私はその75歳の方が一緒に上京して出席されていた親戚一同に囲まれているのを見て、大賞はこの方で良かったと思いました。

     パーティの最中に人混みをかき分けて「あなたがガバチャさんですか!」と三人の男女が寄ってきます。
     下読みの方たちでした。

     この方たちは三人とも多数の応募作から満点をつけたのは
     私の「南風(まぜ)の海」だけだったそうです。

     小説部門ではダントツ、ドキュメントを入れても間違いなくダントツでしたよと。
     なぜガバチャさんが大賞に選ばれなかったのか私たちには疑問です。
     と言われました。

     正直、副賞の100万円を逃したのは悔しかったけど。
     それでも私も次点で30万円もらいました。

     立食パーティーで受賞者が紀宮さまと二人で話す機会を与えていただいた時に
    「ぜひ和歌山にお越しいただきこのガバチャの釣ったばかりのアユを召し上がってください」
     とほろ酔い加減で携帯の電話番号をお聞きしたのですが苦笑いして断られました。

     そんなことがあって、私はこれはひょとしたら小説の道でやっていけるんじゃないだろうか、とうぬぼれたのですが、結局その後はいくつか賞はもらいましたが大きな賞金はありませんでした。

     もっかトータル70万円ぐらいだと思います。
     生きているうちには100万円に到達したいと思います。
     
     って
     おい! 結局、金か~い(;^ω^)
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    仕方なくもう一匹のオトリでやり直すことにした。

    今度は鼻カンを差すのにやや手こずったが、何とか元気なまま針まで打てた。


    対岸の辺が一番流れが緩いのでそこにオトリを持って行くことにした。

    僕は流れのある瀬に耐えて腰まで浸かって竿を立てると何とかその場所にオトリを沈めた。


    よし、と思った瞬間に竿先が自由を失った。

    見上げると上空の雑木に竿先が絡まっている。


    くそー、と竿先を引っ張るが全く外れない。

    それどころか雑木を支点にオトリが徐々に吊り上がっていく。


    釣り糸はいったん引かれると上がることはあっても下がることはない。

    ついに水面を切りオトリが空中でビチビチと体を揺らせた。


    やけになって思いっきり引っ張ったら、糸が切れて雑木の空中三メートルぐらいの高さで宙ぶらりんになった。


    周囲の釣り人が笑いながら見ていることだろう。


    僕は顔を上げることさえできなかった。

    ずっと足下を見ながら肩を落として車に戻った。


    僕のデビューはわずか三十分ほどであっけなく終わった。

    死んだオトリを一匹だけ持って帰った。


    家内は喧嘩の続きがまだ終わっていないのか何も言わずに塩焼きにしてくれた。

    僕は焼けた鮎を箸で千切って子供たちの皿に分けた。

     

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