杉原隆人の記憶の一番最初に高瀬慎也がいる。

 家の前の河原で一緒に雑魚釣りをしている風景が隆人の頭の中にはっきりと残っていた。


 家が隣同士だったので学校に通うのもずっと一緒だった。

 お互いが朝どちらかの家に行って誘っては登校した。


 慎也には父親がいなかった。

 隆人は子供心に不思議に思い何度か訊いたことがある。


「お前のおとうちゃんなんでおらへんのや?」

「わからん、でもおじいちゃんがおるからええんや」

 未だ小学校に上がったばかりの慎也は明るく答えた。


 隆人と慎也は、和歌山県清水町の押手地区という小さな集落に生まれ育った。

 目の前には有田川が流れてい


 慎也の家は母と祖父母の四人暮らしで、祖父は製材所で働いていた。

 慎也の家は夏になると囮鮎を販売していた。


 囮鮎とは鮎の友釣りに必要な養殖鮎のことである。

 一方隆人の家は祖父母と両親妹の六人家族で父は町役場に勤めていた。


 隆人は慎也と家が隣ということもあって何時も兄弟のように遊んでいた。

 が、小学三年生の頃から誘っても断られることが多くなった。


 玄関から家の中を覗くと、慎也は金槌を持って黙々と木箱を作っている。


「慎也手伝ったるわ」と隆人が声を掛けると、慎也はニコリともせず「これ仕事なんや」と言ってまた黙々と金槌を振った。


 その木箱は所狭しといくつも重ねられ、奥の部屋では慎也の母や祖母も同じ作業をしていた。

 小さなラジオから雑音混じりの音楽が流れていたが、誰も楽しそうな顔はしていなかった。


「慎也君遊んでくれへんのや。家で箱つくってるわ」

 隆人は渋々家に戻った。


「慎ちゃん内職手伝ってるんやわ。小さいのにほんま親孝行な子や。あんたも遊んでばっかりせんと勉強でもしいや」

 隆人には内職という言葉がわからなかった。


 夏の盛り、隆人らが河原で楽しそうに水遊びをしている最中も、慎也は汗だくになって木箱作に精を出していることがあった。


 そんな慎也にも大きな歓声が響く時があった。

 それは、囮鮎の販売を手伝う時である。声を聞くと隆人も駆けつけて手伝った。


 慎也の家の庭には、風呂桶ほどの木製の水槽が庭先に設置されていて、葦簀で出来た蓋を取ると中にたくさんの鮎が泳いでいた。


 慎也と隆人がはしゃぎながらタライにバケツで水を張ると、慎也の母や祖母が数匹の鮎をタモ網ですくい入れた。


 タライに入った鮎が所狭しと飛び跳ねる。

 

 それを友釣りに訪れた客は素早く素手で掴むと、少し指を開いて鮎の鼻や腹を返して品定めをする。

 選ばれた鮎はブリキ製の活け缶に入れられた。


 釣り客はそれを持つと急ぎ足で車の方に向かう。

 車のボンネットには広げられた濡れタオルが敷かれてあり、その上に活け缶は置かれた。


 鮎は水温が少し上がっただけでも弱ってしまうため、車の移動と共に活け缶に風を当てながら釣り場まで向かうのだ。


「ほな行ってくるで。ああそやボクらあこれ上げるわ」

 隆人と慎也は、釣り客からお菓子やジュースをもらうのも楽しみだった。


「おおきに、ぎょうさん釣ってきてや」

 慎也の母や祖母が車から顔を出した釣り客に手を振る。

 高瀬囮店では、夏場になるとそんな忙しいやり取りが早朝から昼まで続いた。

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