鮎釣りに限らず、趣味の楽しいところは自分で自由気ままにやれることだろう。
誰にとがめられることもなく自分の考えどおりに物事を進めていける。
当たり前なのだが仕事とはそこが決定的に違う。
仕掛けづくり一つにしても、延々と夢中になって試行錯誤を繰り返す。
その時は仕事の事も忘れ日常の不安や嫌な事からも遠ざかることができる。
自分の作った仕掛けや考えが釣果として返ってきたときの喜びは大きい。
この点においては仕事でも何かをやり遂げたり成功した時の喜びに似ているかもしれないが、たいていの職場ではそれはほとんど無に等しいだろう。
やはり趣味の世界と仕事には程遠いものがある。
それができるような職場環境なら仕事を趣味と呼んでもいいのだろう。
数年前に民間に勤めながら研究を続けてノーベル賞を受賞した方などが特殊なケースとして当てはまるのだと思う。
僕のような普通のサラリーマンは勇気を出して自分の考えや意見を述べたとしても、最終的には上司に逆らわずに会社に従わなければならない。
どのような場面でもそれに耐え波風を立てぬような努力の対価として給料をもらって家族を養っているのである。
ひょっとして私は鮎釣りに逃避したのだろうか?
祖父に初めて鮎竿を持たせてもらった時にはこの世界にこれほど没頭するとは思わなかった。
一つのきっかけは家内との大ゲンカで、その挙句にボーナスで鮎釣り道具一式を買いそろえるという暴挙に出たのであるが、思い返せばその発端も仕事と家庭のスケジュール調整がつかないことが原因であった。
結局、逃げたかったのだ!
とんでもない弱虫だ・・・・・・。
そんな自分をオトリ屋さんは笑顔で迎えてくれる。
河原で初めてあった人は親切にどこで大きいのが釣れたとかを教えてくれる。
私はいつも鮎釣りで出会った人々から癒され慰められ励まされてきたのだ。
そこには社会的地位も名誉もない。
みんながただひたすらに鮎を釣りたいという気持ちの共有と、時には競争心のぶつかり合いもあって面白い世界なのだ。
川に浸かって竿を伸ばせば仕事や日常のアクがサッと洗い流されてリフレッシュされる。
気づいたら、鮎釣りは僕の人生にとってかけがえのない必要不可欠な時間となっていた。
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