まいどー! 有田川ダム上の柴崎おとり店です(^^)/

和歌山県有田川ダム上にある柴崎おとり店のサイトです。 鮎釣りの遊漁券とオトリ鮎を販売しております。 鮎釣りの皆さんお気軽にお越しください(*‘ω‘ *) 柴崎おとり店 〒643-0601 和歌山県有田川町押手770-2 ☎073-726-0413

    有田川ダム上の水況などetc.


    アウトドア好き https://clear-cube.info/
    車好き     https://better-plus.info/

    2020年07月

    「隆人は受験丈夫やろうかねえ」

     祖母の心配そうな声だった。


    「まあ、今のところは何にも言ってないからねえ。慎ちゃんの影響で受験せんとか言いだたら絶対説得せんといかんけど。それにしてもこんな受験の時期に大変なことが起こったもんやわ。あの元気な佐知恵さんが急にこんなことになるなんて」


    「ところで葬式の時それらしい男は見えんかったやして」

     祖母の声が急に低くなった。


    「そらぁ親にも言うてなかったら知らせようもないやろ。きっと慎ちゃんにも言うてなかったんやろ。まあ鮎釣りの時期やったらその人やって知ったかもしれんけど、鮎釣りの時期以外やったら釣り客は赤の他人と一緒やんか。知りようもないやろ」


    「やっぱり噂どおり大阪から囮鮎を買いに来た常連客の中の誰かの子じゃろうかねえ」

    「まあ佐知恵さんは一度もよそにでたことなかったもんなあ」


    「あたらも囮客をかなり見てきたけど、それらしい男はおらなんだいしょ」

    「そりゃあお母ちゃん、夏場あんなに大阪から知らん釣り人がぎょうさん出入りしよったらわかるわけないわして。だいたいその男かて今生きてるか死でるかもわからんのやして」


    「そうやなあ。けど、慎也は佐知恵さんには全然似いてないやろ。あの顔はきっと父親似なんやで。あの痩せて背の高いところとか鼻筋の通ったところとか。一時佐知恵さんにつきまといよった金屋の良明の子じゃないかいう噂もあったけど、あれは良明の顔とは全然違うわ。良明は背も低いし丸顔やしょ」


    「確かにありゃ良明とは違うわして。もっと男前の男やないとあんな慎ちゃんみたいな男前の顔にはならんやしょ。子供の時はわからんかっても、男らあは大人になるにつれて見た目が親といっしょになるからねえ

    「まあとにかく慎也はかわいそうな子やわ」


    「ほんま、世の中には無責任な男がおるもんやして」

     二人の話を聞いた隆人は眉をひそめた。


     大阪から囮鮎を買いに来た常連客の中の誰か、と言う祖母の言葉が耳にこびりついた。

    021

     慎也は小学校四年になると生け簀から囮鮎をすくうようになった。

     隆人も時々やらせてもらったが、慎也のように上手くはできなかった。


    「ボク上手やなぁ。お父ちゃんに習うたんかあ」

     釣り客からのそんな問に慎也は無言で首を振った。

     そんな様子を隆人は側で黙ってみていた。


     ある日の下校時。


    「お父ちゃんのことな、お母ちゃんに訊いてみたらオレがもう少し大人になったら話してくれるって言うてたわ」

     隆人が問いかけたわけでもないのに慎也が突然そう言いだした。


    「どっかにおるんやろ。オレ大きいなったら一緒に探したるで」

     隆人は、自分で言ったその言葉をいつまでも覚えていた。


     二人は中学生になると友釣りを始めた。

     放課後、二人はそろって家の前の川で竿を出した。


     仕事を終えた慎也の祖父がつきっきりで教えてくれた。

     二人は直ぐに囮鮎の操作を覚え日毎に釣果を上げた。


     いつもどちらが多く釣り上げるかの競争をしたが、大抵は慎也が勝っていた。


    「ええか、鮎が川の中でどんなとこにいてどんなことしよるかように見とかあかんで」

     祖父の言葉に、慎也と隆人は橋の上から鮎の行動を観察した。


     鮎がどんな石に沢山付いているのか、どんなふうに縄張り争いをしているのか、二人は時間があれば鮎の観察にふけった。


     中学三年の冬、慎也に不幸な出来事が起こった。


     突然、慎也が授業中に教頭先生から呼び出された。

     慎也の母佐知恵が交通事故に巻き込まれたとのことだ。

     佐知恵は三日後に帰らぬ人となった。


     高校受験を二ヶ月後に控えてのことだった。

     慎也と隆人は和歌山市内の同じ高校を目指していた。


    「オレ高校行くの止める。止めて働く」

     葬式の日、慎也は隆人にそう言った。


     自分も同じ境遇なら同じ判断をするのかもしれない。

     いや、経済的なことを考えればせざるを得ないだろう。

     そう思うと、隆人はやるせない気持ちで項垂れるしかなかった。


     その夜、トイレに入ろうとした隆人の耳に母と祖母の話す声が微かに聞こえてきた。

    038


     友釣りは、囮鮎が元気かどうかで釣果が左右されるため、釣り客は囮を弱らせないよう素早く行動しなければならない。


     鮎の友釣りは一風変わった釣りである。

      他の川釣りや海釣りとは原理が違う。


     一般的に釣りと言えば、ハリに付けた餌を魚に食わせて釣り上げるものだが、鮎の友釣りは違っている。

     漁体にハリを引っかけて取るのだ。

     それは鮎の縄張り争いの習性を利用したものだ。


     鮎は川底の石苔を餌にしているが、自分の食べている苔の場所は自分だけの場所と思いこんでおり、他の鮎が進入してくると体当たりをして追い払う。

     その餌場をめぐる争いを終日繰り返しているの


      友釣りの歴史は古く江戸時代にまでさかのぼる。

     起源については諸説あるが、その一つは兵庫県揖保川流域の下駄職人が始めたと言われるものである。


     下駄職人は鮎がしきりに体当たりをする様を橋の上から眺めていた。

     そのうち、どちらかの鮎に引っかけバリを仕掛けておけば体当たりをした拍子に鮎が掛かるのではないのかということに気が付いた


     下駄職人は、最初下駄の材料で鮎の模型をつくり、それに引っかけバリを仕掛けて水中を引っ張ったが思うように掛からなかった。


     そこで今度は実際生きた鮎の鼻に糸を通して針を付けて泳がせたところ、おもしろいように掛かった。

     これが友釣りの原型となり全国に広まったと言うのである。


     現在まで道具は格段に進歩したが友釣りの極意はなんら変わりない。

     囮鮎を如何に自然に泳がせるか。

     この一言に尽きると言っていい。

     

     釣り人は釣り糸に結わえた直径五ミリ程の輪状の鼻カンと呼ばれる金具を囮鮎の鼻の穴に通す。

     これで囮鮎は鼻輪に繋がれた馬の状態となる。


     この囮鮎を馬の手綱さばきのように操って野鮎の餌場へと進入させ喧嘩を仕掛ける。

     この手綱さばきが難しい。


     鮎は鼻カンを引かれた方と反対に進みたがる。

     後ろに引けば前に、右に引けば左にと言う具合に進む。


     手練手管、名人ともなると囮を意のままに操れるという。


     そうして野鮎の餌場に囮鮎が到達した時に喧嘩が始まる。

     囮鮎には、尻鰭の下に釣り針を三本束ねた錨のような引っ掛けバリが仕掛けてある。


     縄張りを持つ野鮎が自分の餌場を荒らされまいと体当たりしてくると、その錨針が野鮎の体にくい込み掛かる。


     一端掛かると囮鮎と野鮎の2匹がもがいて引き合うため、その手応えは強烈なものとなる。

     それを水中から引き抜いてタモ網で受け、今度は掛かった縄張り鮎を囮鮎として循環使用する。


     このように鮎釣りは野鮎の魚体に針を引っかけて釣り上げるため、「釣った」とは言わず「掛けた」とも言う。


     また、「友釣り」を「友掛け」とも言う。

     子供などにはなかなか出来ない高度な釣りだ。

     

     小学生の慎也と隆人は慎也の祖父からも何度か教えてもらったこともあったが、鼻カンを通すことすら出来なかった。


     そんな二人は祖父の傍らでタモ網を持って、釣れた鮎をいじっては弱らせ祖父を困らせていた。

    IMGA0263

     杉原隆人の記憶の一番最初に高瀬慎也がいる。

     家の前の河原で一緒に雑魚釣りをしている風景が隆人の頭の中にはっきりと残っていた。


     家が隣同士だったので学校に通うのもずっと一緒だった。

     お互いが朝どちらかの家に行って誘っては登校した。


     慎也には父親がいなかった。

     隆人は子供心に不思議に思い何度か訊いたことがある。


    「お前のおとうちゃんなんでおらへんのや?」

    「わからん、でもおじいちゃんがおるからええんや」

     未だ小学校に上がったばかりの慎也は明るく答えた。


     隆人と慎也は、和歌山県清水町の押手地区という小さな集落に生まれ育った。

     目の前には有田川が流れてい


     慎也の家は母と祖父母の四人暮らしで、祖父は製材所で働いていた。

     慎也の家は夏になると囮鮎を販売していた。


     囮鮎とは鮎の友釣りに必要な養殖鮎のことである。

     一方隆人の家は祖父母と両親妹の六人家族で父は町役場に勤めていた。


     隆人は慎也と家が隣ということもあって何時も兄弟のように遊んでいた。

     が、小学三年生の頃から誘っても断られることが多くなった。


     玄関から家の中を覗くと、慎也は金槌を持って黙々と木箱を作っている。


    「慎也手伝ったるわ」と隆人が声を掛けると、慎也はニコリともせず「これ仕事なんや」と言ってまた黙々と金槌を振った。


     その木箱は所狭しといくつも重ねられ、奥の部屋では慎也の母や祖母も同じ作業をしていた。

     小さなラジオから雑音混じりの音楽が流れていたが、誰も楽しそうな顔はしていなかった。


    「慎也君遊んでくれへんのや。家で箱つくってるわ」

     隆人は渋々家に戻った。


    「慎ちゃん内職手伝ってるんやわ。小さいのにほんま親孝行な子や。あんたも遊んでばっかりせんと勉強でもしいや」

     隆人には内職という言葉がわからなかった。


     夏の盛り、隆人らが河原で楽しそうに水遊びをしている最中も、慎也は汗だくになって木箱作に精を出していることがあった。


     そんな慎也にも大きな歓声が響く時があった。

     それは、囮鮎の販売を手伝う時である。声を聞くと隆人も駆けつけて手伝った。


     慎也の家の庭には、風呂桶ほどの木製の水槽が庭先に設置されていて、葦簀で出来た蓋を取ると中にたくさんの鮎が泳いでいた。


     慎也と隆人がはしゃぎながらタライにバケツで水を張ると、慎也の母や祖母が数匹の鮎をタモ網ですくい入れた。


     タライに入った鮎が所狭しと飛び跳ねる。

     

     それを友釣りに訪れた客は素早く素手で掴むと、少し指を開いて鮎の鼻や腹を返して品定めをする。

     選ばれた鮎はブリキ製の活け缶に入れられた。


     釣り客はそれを持つと急ぎ足で車の方に向かう。

     車のボンネットには広げられた濡れタオルが敷かれてあり、その上に活け缶は置かれた。


     鮎は水温が少し上がっただけでも弱ってしまうため、車の移動と共に活け缶に風を当てながら釣り場まで向かうのだ。


    「ほな行ってくるで。ああそやボクらあこれ上げるわ」

     隆人と慎也は、釣り客からお菓子やジュースをもらうのも楽しみだった。


    「おおきに、ぎょうさん釣ってきてや」

     慎也の母や祖母が車から顔を出した釣り客に手を振る。

     高瀬囮店では、夏場になるとそんな忙しいやり取りが早朝から昼まで続いた。

    IMG_0490

     翌年、好子は女の子を出産した。

     だが、鈴木には他にもう一人女がいた。


    有田川上流にある鮎囮店の高瀬佐知恵である。


    鈴木は和歌山県南端の串本に住んでいたが、夏場になると紀伊半島の川を鮎釣りで転々としていた。

    そんなことで鈴木は佐知恵と知り合ったのだ


    そして、佐知恵もまた鈴木の子を妊っていた。

    結局、鈴木は好子と籍を入れることになったが、一方の佐知恵は好子の出産の翌年に男の子を出産し未婚の母となった。


     昭和三十七年、全日本鮎釣り連盟の発足と共に第一回全国鮎釣り大会が開催された。


     決勝に上がったのは、和歌山県の鈴木徹斉と栃木県の荒川満夫だ。


     二人の釣法は全く対照的で、鈴木は囮鮎を流れに逆らって上流に泳がせる「泳がせ釣り」、荒川は囮鮎を下流に引く「引き釣り」だった。


    「泳がせ釣り」と「引き釣り」のどちらが釣れるのか。

     二人の出身が関東と関西ということもあって、取り巻きらの舌戦が激しくなった。


    決勝戦は、長野県の天竜川で行われた。


    当日、河原で向かい合った鈴木と荒川を見て橋上の観衆らから大きなどよめきが起こる。

    鈴木と荒川は、相手に肘鉄をかますような格好で長竿を肩に担ぐと直近で睨み合った。

    試合と言うよりかはまるで喧嘩だ。


    試合開始の笛が鳴り響く。

    再び観衆がどよめいた。


    なんと二人はくるりと背中を向け合うと、隣同士のままので竿を構えたのだ。

    鈴木の鮎は上流に、荒川の鮎は下流にと、真ん中に鏡でも立てて見るような状態となった。


    「なんじゃあこりゃ、鈴木の足下から天竜川は反対向いて流れとんのかぁ」

    そう言って酔っぱらいが高笑いをした時だった。


    鈴木の釣糸に付けてある真っ赤な毛糸の目印が、一回転して上流にぶっ飛んだ。


    「か、掛かったぁ!」

    長竿がへし折れんばかりにギイギイとしなる。

    三本針に刺された野鮎が、ギラリギラリと腹を返して水中で暴れ狂


    伸びきった釣糸は激流を縦横無尽に切り裂いて止まない。

    鈴木は、たまらず腰を落として横走りした。群衆が固唾を飲んで静まりかえる。


    ウッシャーッ」

     鈴木の雄叫びと共に長竿を持った両腕が頭上に伸びきった。

     同時に白銀の大鮎が尾鰭で水面を蹴り上げて空中に舞い上がる。

     猛スピードで鮎が飛んでくると鈴木は素早く腰に差したタモ網を抜いた。


     ドッスンッ!

     底重たい音と共に、二匹の大鮎が目にもとまらぬ早さでタモ網に突入した。


    ウッシャーッ」

     再び、鈴木の奇声が清流にこだまする。


    群衆がどよめきを取り戻した時には、次の囮鮎が上流で勇ましく腹を返していた。

    暴れ天竜と呼ばれるほど急流な天竜川で、鈴木は泳がせ釣りを駆使して次々と鮎を掛けた。


    「ええどー、鈴木ぃ」

    観衆は、鈴木の不思議な釣りに酔いしれた。


    二時間勝負の結果、48匹対19匹の大差で鈴木が圧勝した。

    荒川は悔しさのあまり、タモ網を地面に叩きつけるほどだった。

     

     後に人はこの決戦を「伝説の天竜決戦」と呼んだ。

    このページのトップヘ