男らは釣れる場所を五人で占拠して、大声で冗談を言ったり笑ったりしながら騒いでいた。
隆人には直ぐに細川囮店の連中だとわかった。細川達也の姿はない。
鮎釣りには暗黙のルールがある。
それは、他人の釣っている場所を横取りしないと言うことだ。
ある場所で釣っていた人が昼食や用足しで竿を置いても、他者はその場所には遠慮する。
そして何より静かに釣ることだ。
それが年配者を追い払って騒いでいる。
彼らが邪魔をしに来たのは明らかだ。
「なんや高瀬の囮は弱いのお、直ぐ死んでしまいよったわ」
と、わざとらしく細川グループが声を上げると、祖父がワナワナと震えた。
「てめえらええ加減にしやがれっ」
たまりかねて橋の上から祖父が叫んだ。
「なんやとじじい、金返せ、こんな腐った囮売りやがって」
その言葉に隆人が切れた。
「なんやと、待っとけそこでぇ」
隆人は言うが早いか血相を変えて駆けだした。
「隆人」
慎也の声が響く。
鮎釣り姿の慎也が歩いてくる。
心配そうな顔で横に祖母がついていた。
「慎也、山仕事の手伝いはもうおわったんか」
祖父が訊いた。
「ああ直ぐに終わったよ」
そう言って慎也は橋の上から河原を覗き込んだ。
「あいつらを追い払う方法は喧嘩やない。まあ見とけ」
興奮した隆人を宥めるように慎也が言う。
慎也は河原に降りると、彼らの囲む瀬ではなくて淀んだ下手のトロ場に立った。
五人とも慎也の登場に暫し沈黙する。
「けぇっ、あんなトロい淵で鮎が掛かるか。野鯉が食いつくっしょ」
本当に一升瓶ほどの野鯉が数匹揺れていた。
慎也はいっこうにかまわず竿を伸ばす。
いつの間にか、橋の上には隆人や祖父母の他十人ほどの人が集まっていた。
慎也の立った場所は泥をかぶってとても鮎の住める場所ではなかった。
水深三メートルはあろうかという淵で、その淵の向こう側の対岸に畳一畳ほどの岩盤が沈んでいる。
そこまでは十メール以上距離があった。その岩盤だけが仄かに明るく水底で揺れている。
誰しも竿は届かない。
鮎がいれば新場で一発でかかる場所だ。
「おーっしゃーデカいのがきたでぇ」
細川グループの一人に鮎が掛かった。
みんなが振り返るが慎也は見向きもしない。
慎也はそっと自分の囮鮎を水中に離した。
泥の中を囮鮎が苦しそうに進むのが橋の上からよく見えた。
「あかん」
祖父がそう呟いた時だった。
誰もがえっと目をむいた。
慎也は囮鮎が進む速度に合わせるように、そのまま淵に進み出て首まで浸かった。
顔だけ出して流れに耐えて片手で竿を突き上げる。
深緑に泥むの淵から見えているのは、慎也の顔と竿と釣り糸に結わえられた毛糸の目印だけだ。
「溺れるやして」
祖母が心配そうに祖父に言いすがった時だった。
突如、赤い毛糸の目印が空中に押し戻されて一回転したかと思うと
突風にでも吹き飛ばされたかのように上の瀬まで一挙に走った。
「掛かったあ!」
祖父が叫ぶ。
慎也は竿を片手で握ったまま泳いで手前の浅瀬に戻った。
細川グループも慎也の動作に釘付けだ。
竿が満月に弧を描く。
淵でたっぷりと苔を食べた巨鮎に違いない。
慎也は浅場に立つと全身から滴り落ちる水しぶきを風に舞散らせながら腰を落とした。
白銀の魚体が淵の中で翻って激しく回転する。
慎也は慎重に竿を持つ両腕を頭上に伸ばし始めた。
巨鮎は強引に水面まで引き上げられると、最後の力を振り絞るかのように何度も水面を蹴散らせた。
が、慎也の腕が完全に伸びきると、空中に放り出され猛スピードで空中移動を開始した。
すかさず慎也がタモ網を抜く。
ドワッシャーン!
タモ網が水飛沫をはじいて慎也の手が真後ろに伸びきった。
見ていた祖母が、首をすぼめてヒェッと小さな悲鳴を上げる。
「で、でかいっ」
見物人の一人が思わず声を上げた。
慎也やはしゃがむと細川グループの方を牽制するように睨んだ。
そして、休むことなく囮鮎を送り出すと次々と同じ所作で巨鮎を釣り上げた。
入れ掛かりが止まらない。
瞬く間に10匹ほど釣り上げた。
細川グループは五人がかりでも数匹だ。
やがて細川グループの一人が舌打ちをしながら竿を仕舞い込んだ。
ならったように他の者も竿を仕舞いこんで車の方に向かう。
さっきまでの喧騒とはうって変わって、細川グループは足早に無言で四輪駆動車に乗り込むと去っていった。
「てめえらもうくんなー」
祖父が爽快な声を張り上げた。