小市民のイージーライフ

日常生活の様々な話題を綴るブログですがしばらくは小説を書いてみます。

    2020年07月

     二人はまた休みごとに鮎釣りへと通い始めた。

     慎也が天才鮎釣り師に戻るまでに時間はかからなかった。が、慎也は以前の慎也に完全に戻ったわけではなかった。


     あの出来事以来、慎也は極端に口数の少ない男になってしまった。

     慎也が自分から口を開くことはまずない。


     隆人は慎也に対しどんな話題がタブーであるかわかっている。

     長い時間がかかっても必ず元の慎也に戻ってくれることを信じた。


     慎也の自殺未遂から三年目の夏、隆人は慎也を以前優勝した釣り具メーカーの近畿地区大会に出場させた。

     隆人自身は出場しなかったが慎也の出場手続や段取りを全て行った。


     点呼で高瀬慎也の名前が読み上げられると、参加者たちからどよめきが起こった。

     鮎釣り界を賑わせた高瀬慎也の名は全く色褪せていな


     試合が始まると慎也は猛烈に釣った。完璧なカムバックだ。

     二位以下に圧倒的な差をつけての優勝だった。


     一月後、岐阜の馬瀬川で全国大会が行われ慎也はあっさりと優勝する

     以降、慎也の全国大会連覇が続くことになった。


     連覇を重ねるうち、慎也はある鮎釣具メーカーを代表する専属プロとなった。

     長身でスリムな体躯に俳優並みの甘いマスク。


     慎也の人気は鮎釣り界にとどまらず、最近ではテレビのクイズ番組や釣り映画への出演依頼などもきている。

     いつしか隆人は慎也のマネージャーのようになっていた。


     一方、慎也は鮎釣り姿になると甘いマスクとは裏腹な険しい形相に変わった。


    高瀬慎也の釣りは身の毛のよだつ釣り方や。あいつには何かが乗り移ってるで」

     慎也は鮎釣り関係者から「関西の鮎鬼(ねんき)」と呼ばれるようになっていた。

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     隆人は自分の責任を感じていた。

     雅は気の多い女だったのだ。


     そのことは釣具店の若い店員からも聞いたことがあったし、彼女が何度か違う男と歩いているところを見かけたこともあ

     慎也に早い段階で忠告しておくべきだった。


     慎也は建設会社を辞め寮を出た。

     田舎に帰っても祖父母に迷惑をかけるので、と言いいながらも行く当てなどあるはずもない。


     隆人は叔父に頼みこんで慎也を宅配会社に入れてもらうことにした。

     ただ、会社には入っても慎也は働けない。


     離れの一階を自分の部屋にしてその二階に慎也を住まわせる。

     そこで療養生活をさせるのが目的だ。

     


     慎也に処方された薬は、第三者が管理しなければならないほどに強い薬だった。


     慎也療養生活は他人から見ればただの引きこもりで、時折訪れる叔父夫婦も困り果てていた。


     隆人はいわゆる監視役で、慎也に毎日決まった量だけの薬を飲ませることと、規則正しい生活をさせることに努めた。


     が、隆人も仕事をしなければならず限界はある。


     そんな時は叔父の一人娘真紀に頼んだ。

     真紀はいつも慎也の事を気にかけている。


    「慎也さんちゃんとお食事はとったのかしら」

    「置いていたおにぎりが無いから食べたんとちやうか。ワイ今から配達があるからなんかあったら電話してくれや」


    「うん、私このおいしそうなパン食べへんか慎也さんにもう一度声掛けてみるわ」

     そんなやり取り叔父はいつも顔を曇らせて見ていた。

     真紀が慎也に好意を持っていることは誰の目にも明らかだ。

     

     叔父は真紀の行動を咎めることもあったが、真紀は言うことをきかなかった。

     そんな甲斐あって慎也の症状は徐々に回復をしてきた。


     二年が過ぎた夏、隆人は思い切って慎也鮎釣りに誘う。

     慎也も首を縦に振った。


     二人は埃をかぶった釣り竿などの道具を手入れ、有田川へと向かった。


     慎也が有田川に浸かって竿をかまえた瞬間、隆人の目から涙がこぼれ落ちた。

     川で顔を洗ってごまかしたがしばらくその止まらなかった。

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     慎也は日に日に痩せ細り、仕事も鮎釣りも手につかなくなった。


    「オレもう駄目かもしれん・・・・・・」

     電話の向こうで慎也の弱々しい声が隆人に届いた

     すぐに大学病院の看護士が電話を替わる。


     看護士の話では、慎也はナツメグを大量に摂取して自殺を図り病院に搬送されたと言うことだ。


     隆人は直ぐに病院に向かった。


     病室には医師と看護士の他に会社の寮のおばさんがいた。

     慎也は眠ったままだ。

     隆人は寮のおばさんに事情を聞いた。


    「幻聴が聞こえる言うて洗面所ですごく吐いてな」


    「最近なんか変わったこと無かったですか?」

     隆人の問いにおばさんは思い出す表情で首を捻った。


    「さして変わったことは無かったけど、二、三日前に若い女の人から電話があったぐらいかなあ。夜の八時頃やったわ。先月ぐらいまでは毎晩かかってきよったけど最近は全然掛かってきていなくて久しぶりの電話やったわ。前かけてきてた人と同じ人の声やったと思うけど

     雅に違いない。

     その電話の内容が慎也にこれほどまでのダメージを与えたのだ。

     いったい雅は慎也に何を言ったのだろう。


     医師は隆人を部屋の外に誘った。


    「本人が、どうしても杉原さんに電話をしてくれと携帯を差し出すもんですから」

     隆人は慎也の境遇について医師に話をした


    「そうですか。まあ命に別状はありませんが、未だ脈拍が通常の二倍あり、まれに脳障害が残る場合もあります。本人が言った量が本当なら中毒症状は明日にでも直るはずです。とにかく、これが直っても一度心療内科の方に来られた方が良いと思います」


    「心療内科?」

     隆人は聞き慣れない言葉に首をひねった。


    「ええ、慎也さんは精神的にお疲れになっていらっしゃるようですから一度心療内科の方で診てもらった方がいいと思います」


    「先生、まさか慎也の奴・・・・・・」

    「とにかく診てもらった方が良いと思います」

     医者の言うとおりに慎也の中毒症状は翌日には収まった。

     慎也はその後、精神疾患で一年近くも通院生活を送らなければならないことになる。 

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     隆人も雅に好意を持っていたが、慎也が相手なら仕方がない。

     ただ、一方の隆人にも彼女が出来ていた。


     叔父の宅配会社に勤める同い年の女だ。

     実はその女も慎也に一目惚れをし隆人が相談に乗っていたのだが、慎也の方がいっこうに取り合わなかった。

     雅にぞっこんなので仕方はなかったが、隆人はその女の相談に乗るうちいつしか自分の彼女みたいになってしまっていたのだ


     慎也が全国大会で優勝すると、雅の勤める釣具店主催で祝勝会が開かれた。

     二次会の後、慎也は隆人に含みのある笑みですまんと言いうと雅と二人で夜の町に消えていった。


     隆人が二人が深い仲だと知ったのはこの時だった。

     見送った後にふと振り返ると二人は既に手をつないで寄り添っていた。


    「俺、結婚しようと思ってる」

      慎也が照れくさそうに口を開く。


     結婚という言葉を聞いてさすがの隆人も驚いた。

     出会って半年、慎也は二十一歳で雅はまだ成人していない


     慎也は既に有田川の実家にも連れて行き祖父母に紹介したと言う。

     雅は和歌山県南端の串本町の出身で、慎也と同じで父親がいないということだった。


     同じ父親のいない同士という共感が二人の仲を加速させたのかもしれない。

     いずれにせよ隆人はこの時ほど明るい慎也を見たことはなかった。

     つられて自分まで気持ちが浮ついた。


     だが、それはわずかしか続かなかった。

     慎也は沈んだ面持ちですっかり元気を失っていた。


     雅の母親が二人の結婚に反対しているとのことだ。

     理由はよくわからない。

     が、二人がまだ若すぎるというのは確かにそうなのかもしれないと思った。


     二人は駆け落ちまで考えた。

     隆人も巻き込んで駆け落ちの段取りをつけた夜のこと、雅忽然と姿を消た。


     雅のアパートはもぬけの殻で、大家さんに訊くと数日前に退居願いがあって若い男らと夜な夜な荷物を運び出していったという。


     慎也は雅を探して彷徨った。

     隆人も一緒になって探した。


    「確か実家は串本や言うてたなあ。都会での一人暮らしがしたいって和歌山に出てきたらしいけど。まじめに働く子やったけど、電話一本で急に辞めるやなんてやっぱり今時の子はようわからんですわ」

     釣具店の店長は口元をゆがめた。


     慎也と隆人串本町にまで行ったが、何の手がかりも得られなかった。

     串本には鈴木というが数え切れないほどある。


     慎也は翌年の鮎釣り大会には出なかった。

     彗星のごとく現れて消えた鮎釣り界のヒーローに、関係者らも動揺した。

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     鮎釣りでの諍いは鮎釣りの釣果で解決をするという理屈を慎也は冷静に考えていたのである。

     

     ただ、その事がわかっていても確実に相手の理不尽な行動を制止できるほどの圧倒的な釣りを見せつけられるかどうかは、よほどの技量と自信がないかぎりは行動には移せない。


     隆人は自分ではとても無理な仕業だと思った。


     川に首まで浸かって彼らを追い払った慎也の釣りは常人の域を逸している。


     これが類い希なる天性の素質なら、慎也は鮎釣りをするためにこの世に生を受けた申し子だと言ってもいいだろう。


     そのぐらいの勢いで慎也の釣りは格段に違う次元へと昇り続けていった。


     翌年、慎也は再び馬瀬川の全国大会に出場する。

     そして、並み居る名人を押さえて堂々の優勝を果たした。


     あまりにも若過ぎる覇者に鮎釣り界が騒然と


     鮎釣りの年齢層は高く、それまでの優勝者はほとんどが四十歳台だった。


     慎也は昨年とは比較にならないほどの脚光を浴びることになる


     慎也が鈴木雅という女と出会ったのはちょうどその頃だった。


     雅は和歌山市内で一番大きな釣具店に勤めており、隆人と慎也は鮎の仕掛けなどを買うためにその釣具店に頻繁に出入りしていた。


     雅はレジの担当でやがて顔見知りになる。


     隆人は慎也が雅に一目惚れをし、雅もまた同様だということを間もなく察知した。

    キャプyyチャ

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