二人はまた休みごとに鮎釣りへと通い始めた。
慎也が天才鮎釣り師に戻るまでに時間はかからなかった。が、慎也は以前の慎也に完全に戻ったわけではなかった。
あの出来事以来、慎也は極端に口数の少ない男になってしまった。
慎也が自分から口を開くことはまずない。
隆人は慎也に対してどんな話題がタブーであるかわかっている。
長い時間がかかっても必ず元の慎也に戻ってくれることを信じた。
慎也の自殺未遂から三年目の夏、隆人は慎也を以前優勝した釣り具メーカーの近畿地区大会に出場させた。
隆人自身は出場しなかったが慎也の出場の手続や段取りを全て行った。
点呼で高瀬慎也の名前が読み上げられると、参加者たちからどよめきが起こった。
鮎釣り界を賑わせた高瀬慎也の名は全く色褪せていない。
試合が始まると慎也は猛烈に釣った。完璧なカムバックだ。
二位以下に圧倒的な差をつけての優勝だった。
一月後、岐阜の馬瀬川で全国大会が行われ慎也はあっさりと優勝する。
以降、慎也の全国大会連覇が続くことになった。
連覇を重ねるうち、慎也はある鮎釣具メーカーを代表する専属プロとなった。
長身でスリムな体躯に俳優並みの甘いマスク。
慎也の人気は鮎釣り界にとどまらず、最近ではテレビのクイズ番組や釣り映画への出演依頼などもきている。
いつしか隆人は慎也のマネージャーのようになっていた。
一方、慎也は鮎釣り姿になると甘いマスクとは裏腹な険しい形相に変わった。
「高瀬慎也の釣りは身の毛のよだつ釣り方やな。あいつには何かが乗り移ってるで」
慎也は鮎釣り関係者から「関西の鮎鬼(ねんき)」と呼ばれるようになっていた。