逃走と行っても行く当てもないのだが、とにかく家内を困らせてやろうと思った。
街を彷徨ううちに釣具店の看板が目についた。
そうだ、鮎釣りの道具をそろえよう。
自分の働いた金を自由に使って何が悪い、と開き直って入店した。
竿、ヒキブネ、友カン、ベスト、タイツ、タビ、タモ網、仕掛け等々全部で十五万円ほどの買い物をした。
店のおじさんが喜んで鮎シャツを一着サービスしてくれた。
正直、気持ちがスッとした。
このままどこかの川に行って車中泊をして鮎釣りをしよう。
明日は有給休暇だ。
店のおじさんにどこの川が釣れるのか訊いた。
「勝浦川が釣れとんじょ」
とのことだ。
入漁券を買い場所を地図で教えてもらった。
既に陽は落ちきって真っ暗だった。
僕は行けるところまで行って車の中で寝ようとアクセルを踏み続けた。
ところが暗い山道に入ったところで急に意気地がなくなって、やっぱり帰宅しようと車をUターンさせた。
自宅に着いたら12時をまわっているのに灯がついていた。
中に入ると家内が起きて居間でじっと座っている。
小さな声で「ちょっとあちこちうろうろしてた」と言うと家内は黙って僕を見返した。
何も言わないのが返って不気味だった。
ボーナス袋をそっと家内の座っている横のテーブルに置いた。
家内は黙ってそれを手にすると袋の中から金を取り出して数えた。
数え終わると大きなため息をついて「なんに使った?」と訊いた。
「鮎釣りの道具に・・・・・・」と答えると「あんた鮎釣りやってた?」と妙に柔らかな口調が返ってきた。
「これからやる」
と答えると家内は黙って子供たちの寝ている室に向かった。