まいどー! 有田川ダム上の柴崎おとり店です(^^)/

和歌山県有田川ダム上にある柴崎おとり店のサイトです。 鮎釣りの遊漁券とオトリ鮎を販売しております。 鮎釣りの皆さんお気軽にお越しください(*‘ω‘ *) 柴崎おとり店 〒643-0601 和歌山県有田川町押手770-2 ☎073-726-0413

    有田川ダム上の水況などetc.


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    2020年06月

     翌年の春に加藤さんは退職をした。

     そして数年後、加藤さんと再会する機会があった。


     加藤さんは年老いて小さくなったように感じられたが、グリッと開いた目は昔のままだった。

     僕は加藤さんに有田川で釣った鮎を持って行った。


    「今晩うちに泊まっていけ。おまはんにちょっと話したいことがあるんやしょ」

     と加藤さんは僕の手を引いた。

     表情が少し暗かったのが気になったが、僕は突然泊まれと言われてもなあ、と遠慮してまた来るからと断った。


    「じゃあちょっと待っとけ」

     家の裏に消えて行った加藤さんは、鮎釣りベストを下げて戻ってきた。


    「これ買ったんやけど足が悪うなって鮎釣りでけんようになったから、おまはんにやる。今度これ着て船戸橋の下で釣れ」

     と言われた。


    わかりましたよ。加藤さんの代わりにバンバン釣らせてもらいます」

     そう言うと加藤さんは顔をくしゃくしゃにして喜んだ。


     なのに良く釣れる有田川の方に通い詰めて紀ノ川にはつい行きそびれてしまった。


     その年の晩秋、加藤さんに鮎を持って行ったら寝たきりになっていた。

     僕がそばに寄ると目を向けて何か言うが、何を言っているのか分からない。


     加藤さんは直ぐにまた寝たような感じになった。

     意識が戻ってあんたのことわかったみたいやして、と奥さんが声を詰まらせた。


     加藤さんは僕に何を話したかったのだろう。

     ひと月が経ち、加藤さんは帰らぬ人となった。


     鮎ももう掛からなくなった肌寒い日、加藤さんからもらった鮎ベストを着て船戸橋の下で竿を出す釣りバカを、橋上から何人かが笑いながら眺めていた。


     約束は守るから約束であって守れなければ約束とはいえない。

     僕はせめて一匹でもと鮎竿を繰り続けた

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     できあがった鮎とズガニが、川岸に集まった職場の家族連れらに振る舞われた。

     うまい! 僕らは舌鼓を打った。


     晴天の下で冷え切ったビールが喉を鳴らす。

     加藤さんはそんなみんなを眺めながら目を細めて冷酒をあおっていた。

     

     少し酔った加藤さんが「お前弟子や。手伝え」と僕を指名してタテ網の片方を持たせた。

    「今からこの前で鮎を獲りますので皆さん見ていてください

     と加藤さんがみんなに言うと歓声が上がった。


     僕は加藤さんに言われるがままに紀ノ川に入っていった。

     指示どおり僕は対岸に渡るとタテ網を持ったまま上流に石を投げ続けた。


     肩が痛くなったがみんなが声援をとばすのでやめられない。

     やっと網の引き上げとなって岸に戻ると、まるまるとした鮎が何匹も掛かっていた。

     

     その一匹を取り外した加藤さんは人差し指で鮎の腹を割って内臓を取り出し、梅干しをつぶした梅肉を内臓のところに詰め込んだ。


    「これが紀ノ川の通の食べ方やして。お前そのままかじれっ」

     と加藤さんが言った。


     僕が躊躇するとみんなからまた歓声が飛ぶ。

     僕はしかめっ面で鮎にかぶりついた。


     正直まずくて吐き出しそうだったが、ますますみんなが喜ぶので我慢して最後まで食べた。

    「ん、お前は若いけどなかなか素質がある」

     と加藤さんは冷酒を美味しそうにあおって目を細めた

     何の素質なのだろうかと思いながら、僕もやけくそで冷酒をあおった。

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     翌年の春、僕は和歌山への転勤を命ぜられた。

     和歌山は家内の故郷なので家内は喜んだ。


     和歌山には良い川が多くあるので僕にはそれが楽しみだった。

     着任した年の夏に職場レクがあった。


     加藤さんという自動車運転手さんがそのレクの主催者だった。

     加藤さんは退職前の年齢で僕と歳が親子ほども離れていた。


     職場レクは紀ノ川の中流部にある船戸橋の下で行われた。

     職場の若い者が準備で動員され下っ端の僕は朝早くから日よけづくりのビニールシートを張らされた。

     

     この日の料理は加藤さんが紀ノ川であらかじめ獲った鮎とズガニだった。

     何十匹もの大きな鮎に竹串を刺す作業をさせられた。


     最初は手が滑ってうまくいかなかったが、加藤さんにこつを教えてもらって要領を得た。

     竹串に刺された鮎は炭火の周りに円陣を組むように並べられ、大きな竹かごですっぽりと覆われた。

     きつね色になったらできあがりだ。


     ズガニ大きな竹かごの中に数十匹が生きたまま入っており、大人の手の平もあるとげとげしいズガニが次々に這い上がってくる。


     それをつかんでは熱湯に入れるのだが、またすぐに這い上がってきて手間取った

     観念したズガニを棒で抑えつけて熱湯に沈めておくと、土色のズガニが鮮やかな赤色に変色する。


     調味料は鮎もズガニも塩だけだった。

    キャプsdチャ

    僕はひたすらその動作を繰り返した。

    三十分ほど経った時にオトリのスピードが突然グーっと早まった


    瞬間水中でギラリと魚体が返った。

    目印が横に走って竿がしな


    掛かった! 

    僕は一人で声を上げて夢中になった。


    こんなに気持ちのよい掛かり方は今までに経験がない。

    同じことを一日中繰り返した。


    この日、僕は初めて十匹の釣果を得た。


    嬉しくて周囲の釣り人に釣果を訊いてほしかった。

    みんなベテランで十匹など少ない釣果なのかもしれない。

    でも僕にとっては天にも舞い上がるほど嬉しいことだった。


    翌日オトリ店に釣果を報告した。

    オトリ店の話では、昨日は掛かりが渋くみんな十匹から二十匹の間ぐらいだったそうだ。


    僕は胸を張ってまたその釣り場へと向かった。

    鮎釣りが面白くて仕方なく好きで好きでたまらなくなっていた。


    小さな川なので時には子供を連れて行って水浴びさせながら釣った。

    家内は一人自由を楽しむ時間ができるのか帰宅するといつも機嫌がよかった。


    大喧嘩で始めた鮎釣りなのに、いつの間にか家庭を穏やかにするものになろうとは夢にも思わなかった。

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     僕の職場には鮎釣りをする者が全くいなかった。

     故郷で同窓会があったとき友人ら何人かが友釣りをしていることを知った。


     そこで「泳がせ釣り」という言葉を初めて耳にした。

     鮎釣り大会で全国優勝をした大西名人という方が理論化した釣法とのことだ。


     祖父の教えてくれた釣り方は竿を寝かせてオモリでの中にオトリを沈めるやり方なのだが、この泳がせ釣りというのは聞かされた私には全く驚くような釣り方だった。


     オトリは引かれた方向と反対に進むらしい。

     鼻カンで繋がれた糸を後ろに引けば前に、右に引けば左に、左に引けば右にと進む。

     これを自在に操って野鮎のポイントまで泳がせていくというのだ


     そんなことが本当にできるのだろうかと疑った。

     友人が大西名人のビデオを持っているというので頼んで貸してもらった。


     私はそのビデオを食い入るように何度も見た。

     マジックでも見ているようにオトリがポイントまで泳いで行き野鮎が次々と掛かっていく。

     

     これは本当のことなのだろうかと居ても立ってもいられなくなった。


     週末、早速試してみた。

     流れの緩いポイントを選んだ。


     大西名人のように糸を緩めると流れに押されて糸ふけがつくられる。

     するとオトリがムチでも入れられたかのように前に進む。


     前進しかできないが確かにビデオのとおりだ。

     初心者はこの前進だけを繰り返し行うだけでも、釣果が断然違ってくるとビデオでは語られていた。

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