小市民のイージーライフ

日常生活の様々な話題を綴るブログですがしばらくは小説を書いてみます。

    2014年12月


     若い頃はクロコダイルやラコステなど胸にブランドマークのある服をよく着ていた。
     結婚したらどうでもよくなって、スーパーの安売りで買った980円のトレーナーなどになった。

     子育てで目の回るような毎日におしゃれなど気にする暇もなかった。
     髪の毛も鷲の巣のようにまいくりまくっていた。

     ある日、子供がザリガニを飼いたいとせがむので買ってやった。
     小さな水槽に2匹ザリガニを入れて玄関に置いた。

     子供がうれしがってよく割り箸などでつっついていた。主人が刺身を箸でちぎっては子供に渡し、それを子供が水槽に入れるというのが夕食の定番となっていた。
     子供たちの歓声がよく玄関の方から上がっていた。

     その出来事のあった朝も、わたしは子供二人を自転車の前後に乗せて保育所に向かった。いつもどおり保育所の先生が笑顔で子供を迎えてくれる。

     駆け寄ってきて、子供の肩に手を置いてしゃがむ先生。ふとわたしの方に視線が移った瞬間、先生の笑顔がスーッと消えた。視線は、わたしの左胸のところでピタリととまったままだ。

    「あらぁ、それなんですのん?」
     といぶかしげに先生は首をかしげる。やおら鼻先を近づけるなりビッ、ビェ~と悲鳴を上げて尻もちをついた。
     驚いたのはこっちだ。いったい何が起こったのかわからない。

    「な、なんでしょうか」
     わたしは動揺を抑え、落ち着いた表情で訊きかえした。

     先生は「あの、それ」としか答えれない。
     わたしも自分の胸元に視線を落とした。

     ん、なんか変なものがトレーナーの胸ついている。
     手のひらで鼻を押さえて顔をゆがめる先生。

     確かに、ちょっと臭い。
     よく見るとハサミを上げたエビのようだ。

     立体なのでブランドマークではない。
     いやブランドマークの付いたトレーナーなんて持ってない。

    「ははっ、今朝エビ食べたっけなあ」
     とひとり言を言って、わたしはその殻をピンッと指ではじき飛ばした。ら先生、キャアと短い悲鳴をあげて逃げていった。

     なんだったのだろうと、晩に帰宅したらザリガニがいない!

     えっ。まさか・・・。

     現場検証の結果、朝はじき飛ばしたブツはザリガニさまと判明した。
     水槽から割り箸をつたって逃亡したザリガニさまは、子供が廊下に投げ散らかした洗濯物に潜伏した後、洗濯機にかけられ、さらに乾燥機にかけられ、980円トレーナーのブランドマークになったのである。

     哀れザリガニさま。

     その後ザリガニさまのいなくなった水槽には小亀が入れられた。
     主人が笑いながら、今度は小亀のブランドマークがつくかもな、とおどける。

     あらぬ想像は広がるのだが、絶対に小亀のブランドマークはほしくないと思った。



     悲しくなる時がある。

     それは、自分の思っていることを相手に正確に伝えることができないときである。
     そればかりか、全く逆の意として伝えてしまうこともある。

     伝えたい人に伝えたいときだけ、自分の真意を質と量で現せられるのならどんなに楽だろう。心の中からその真意をちょいと取り出して、ほらって見せられたのなら。

     それがもどかしいレベルならまだしも、胸が張り裂けそうなくらい辛くなることもある。

     この前、懐かしい人にあってそう思った。
     いきちがいの多い思春期に、とびっきりの思い出として残っている大切な人に会って。
     
     それはまだ恋などとは呼べないほどの、ほんの小さな道草の萌芽のままで、今もなおわたしの胸の奥に寄り添っている若き日のしるしみたいなものだった。

     まさか30年も経った再会で、あのときと同じ局面になるとは思いもしなかった。
     つまりわたしもその人も変わっていなかったということだろう。未だに袋小路なんて奇跡だよ、って笑いかけたら妙にシリアスな空気が鈍器のように振り下ろされた。

     輪郭しか思い出せない、そんな人から今頃になって残酷なストーリーを突きつけられるなんて覚悟していなかったよ。
     あなたにとってはすっかり過去の思い出話かもしれない。笑いながら話すような内容ではないと、なぜ気が付かないのだろうか。

     不意打ちかい、イヤな思い出ならザッパリ裏切り捨ててほしい! と心の中で叫んだ。自分が理解されないのが、みっともないこととは比較にならないほどつらいもんだと痛んだ今日だけでも。

     笑顔で装った落胆の沈黙に、あなたは何の気配も感じなかったのだろうか。

     確かにマッチいっぽんぐらいの温かさで袋小路から抜け出せるって、曲はあった。
     微睡みもせずラジオにしがみついて、石物のようにそんな曲を聴き続けたこともあった。
     
     ネットで探し出して久しぶりに聴いてみる。
     やはり、みぞおちのあたりに弾きかかるピアノの旋律は、ただ自虐心をあおるだけで悲しい曲だ。

     まるで、わたしのために作った曲。
     恐ろしいほど心の中がリアルに映し出されている。
     
     でも・・・・・・、あの時と何かが違う。
     なんだろう、小さく波打った胸に不思議と素直さが揺れ戻ってくるような感覚は。
     スーっと体が軽くなっていくようだ。 

     マッチいっぽんぐらいでホントにいいのか?
     絶対ムリだと思わない方がいいのか?

     袋小路で出られないのが、つながっていて「いつか」を得られるプロセスだと信じるべきなのか?
     何故か、その方が直ちに最良の方法を模索するよりも自分らしい、とこの曲を聴くうち傾き始めた。

     袋小路もまんざらではない、とね。
     わたしは変わったのだろうか。

     
     久しぶりにあなたに会って。
     わたしは今さら変わっていこうとしているのかもしれない。 


     寒い日の朝だった。
     見た夢に驚いて私は体を起こした。

     前後は覚えていないが公園のベンチに腰掛けている女性に声をかけたらハツミだと答える。
     ええっ、あのハツミが・・・大人のハツミになっている。

     わたしが駆け寄ると、ハツミはわたしの名前を呼びながらブランコの方に行って、後ろ姿でブランコをこぎ続けた。
     そのあとは私がいくら呼びかけても振り向くことはなかった。

     それは思い出すこともなかった霞んだ遠い日の記憶だ。
     ハツミとは、わたしが小学校一年か二年の頃に近所にいた同級生。
     
     男の子たちの腕をねじっては泣かせてしまうほどのおてんば。女の子がいじめられていると飛んで行って男子を投げ飛ばしていた。体も一回り大きく同じ学年とは思えなかった。
     事情はわからないがある春の日に転向してしまった。営林署の社宅にいたので転勤族だったのだろう。

     それにしても、なんで今頃ハツミなんだろう。何かきっかけになるような体験が、起きている間にあったのかと考えてみた。でも、思い当たる節は全くない。

     夢は日常の体験や思い浮かべていることが出てくるのではないのか。ハツミのことなどとんと思い返した記憶もない。

     それが、夢の中では名字まではっきり言われた。その名字を聞いておおげさに驚いたのを覚えている。
     まぁ夢の中のことなのでどうでもいい話なのだが。目が覚めて思い出せないのが少しくやしい。わたしの脳に少し残っていたハツミの本当の苗字だったのかもしれない。

     他にも、記憶の引き出しを開けきれてないだけでもっといろんな記憶が自分には残っているのだろうか。 
     ハツミだけでなく思いもよらぬ人物が。 

     無理なことだができるなら、自己を司る記憶の総体を見てみたい。いったい何が残っているのか。自分の過去の大パノラマの中を鳥のように羽を広げて俯瞰してみたい。
     楽しいことも悲しいことも嫌なことも、この目でもう一度見て楽しみたい。自分の生きた証として、いとおしく寄り添い、駆け寄り、愛でながら。

     全て見たら、気がふれてしまうかな。

     わたしだけのランダムメモリー。
     それは毎夜夢の中で気まぐれに開かれているのだろうか。 
     
    そして、そうだな、わたしも誰かの夢に突然現れたりしているのかもしれない。大人になる前のまだあどけない少女になってひょっこりとね。

     他人(ひと)の記憶の中に生き続けるというのも悪くないね。
     仮想現実な関係は気楽でいい。

     ハツミが今どこでどうしているのかはわからないが、これでわたしの記憶の片隅から消えることは一生ない。つまりわたしが生きてる間ハツミも生き続けてるっていうことだ。

     そう、そんな記憶を大切にしたい。
     何事にも代えがたい宝物として、ひとつひとつ。
     わたしの人生そのものとしてこれからもずっと。




    一昨日の晩、飲みに行ってて外人の女性二人とすれ違った。外人の女性と言ってもゆうに70は過ぎたお年寄りだ。
     外人は年寄りの女性でも背が高いなーと思ってたら「ヘ~イ」と呼び止められた。

    「な、なんでしょうか」と振り向いたら「ヘイ、キャユースピークイングリッ」と言う。わたしはとっさに「え、いやぁ ジャ、ジャパニーズ オッケー ノ~イングリッシュ」と返した。

    「オー」と両手を広げて見下ろす外人女性たち。目を丸めて今度は「オ~サケェ」を連発する。
    「オ~サケェ?」むっ大阪かな。
    と、やな思い出がフラッシュバックした。実は過去に「オ~サケェ」のトラウマがある。

     20年前ぐらいのことだが、友人らとお酒を飲んで終電に間に合わずホテルに泊まった。翌朝、自宅に帰ろうと阪神電車に乗ったら隣の若い外人女性に話しかけられた。

    「なんじゃらかんじゃらオ~サケェ」と言っている。
    てっきり「あんたお酒くさいよ」と言われたと思い「イエスタディ、トゥディ、オ~サケ」と身振り手振りで言い返した。

     そしたら首を激しく横に振りながら「ノーッ」と両手を広げる。 
     わたしは受けたと思いほんとに酒臭い息を吐いて自分の鼻をつかんだ。

     そんなことをしていると近くのおっさんが寄ってきた。
     そのおっさんは笑顔でわたしたちのやり取りに絡み、流ちょうな英語で話かけた。

     大きくかぶりを振って納得するような外国人女性。
     どうやら「オ~サケェ」は「大阪」のことだったようだ。「この電車は大阪に行きますか?」とわたしに訊いたらしい。
     わたしは乗客から笑われ赤っ恥をかいたことに気が付き赤面した。

     このお年寄りらもまた、大阪のことだなと思った。ら、二人そろってグラスをあおるゼスチャーだ。今度こそ間違いなく酒だ。これで大阪だったらコケルゼと、わたしも同じゼスチャーで「オ・サ・ケ」ね、と返した。「オーイェスイェス」と二人が笑う。

     わたしは目の前にあった「がんこ寿司」の看板をさして「ヘィ、ガンコガンコ。オサケ ガンコにアリィマース」と言った。
    「オーノー、オンリーオンリー」と外人さん。
    「え、オンリー。オー だけ ネェ だけ」とわたし。
    「ダケェ? ノーノー、オンリーオンリー」と外人さん首をかしげる。

     もぉわけわからんわと、あきらめたわたしが両手を広げ「ヤッパ ワカリマシェ~ン」とカタコトで言うと「オー、ガール オー、バイバイ センキュー ねー」って、おいちょちょちょっと、最後確かに「ねー」って言ったぞ! 

     それに二人ともほろ酔いみたいだったし。なんか、ただ遊びいじられただけ、みたいな感じだったよなシラー

     と、ガンコ寿司の鉢巻きおやじを見たらキュッと結んだ口元がかすかに笑っているように見えた。
     わたしはオーノ~と小さくひとり言を言って、またにぎわいの中をふらふらと歩いた。




     駅に着いたらすっかり日が暮れていた。
     通勤帰りの雑踏で、誰かがつまずき玉突きになる。
     わたしは前の人に頭を打ち、背中に後の人がぶつかった。直ぐにスイマセンと言って散っていく人々。ここで終わればよくある話。

     だが、わたしの後ろの人が肩をつかんで離さない。
     そのつかみ方が尋常でなく、あのぅ、と振り向いたら女性らしい。そして、杖が見えた。

    「このままでいいですか」と声が若い。
     わたしは事態を察知し「え、ええ・・いいですよ」と答えた。

    「すいません」と彼女。
    「じゃあ歩きますよ」とわたし。
     彼女はわたしの肩を強くつかんだままだ。正直困ったなと思った。

     家は同じ方向らしい。二人は暗い道を歩速半分以下でぎこちなく歩いた。
     問わず語りで彼女がしゃべる。

     生まれつき全盲で二十歳。JR和歌山駅の近くにマッサージの会社があって、同じような方達とそこに住み、今日は週1の帰宅の日だという。
     1人で帰るのは初めてで、親が許してくれず相当やり合ったと笑うが、わたしは笑えなかった。

     わたしも1人でやってみたいと我を張ることがある。そして実際が思惑通りでなかったということもある。それが今の彼女だろうか。
     話すだけなら普通の女の子。

    「じゃあ花の色とかも?」と訊いて、シマッタと思ったが、「ええ全然、でも形や匂いはわかりますわ」と屈託無く彼女。花を愛でる姿を想像すると胸が詰まる。

     わたしは彼女に比べ、どれほど自由かしれない。
     わたしは彼女をは計り知れない。そして、彼女もわたしを理解できない。

     人間誰でも、内に多かれ少なかれ苦しみや悩みを抱えている。与えられた境遇をちゃんと引き受け、ぎりぎりの所で精一杯生きていく。その点においてはわたしも彼女にも径庭はあるまい。

     2時間半もかけて大阪に通勤しているわたしに彼女が驚く。
    「大変ですね」と気遣われ「えっ・・・ああ」と今度はわたしが驚いた。

    「でも、がんばってくださいね」
    「はい」
     と謙虚にわたしは答えた。

    「あらキンモクセイが咲きましたわね」と彼女がつかんだ手を緩める。
     見上げると大きな木。確かにこのフルーティな匂いはキンモクセイだ。

     キンモクセイは秋の訪れを告げる花。もうこんな季節になっていたのか、とわたしは彼女から教えられた思いがした。
     彼女はまたわたしの肩をギュッと握ると、仕事と生活で独立するのが夢だと語った。

     どれほど歩いたろう。前方の路地に女性が立っていた。
     その子の名前を呼びながら駆け寄ってくる女性。口元を押さえて申し訳なさそうに礼を言うその声がかすれている。

     女性が彼女の手を取った時、わたしは初めて彼女と正対した。
     凛と屹立する彼女。くぼんだ目はかたく閉じられている。
     「じゃあ」と手を挙げて去ろうとすると彼女は「ありがとう」と満面の笑顔をつくった。

     その時、何故か・・・、何故だか急にすがすがしくなって、わたしは、振り返りもせず家路への暗道へと足を進めた。

    このページのトップヘ