若い頃はクロコダイルやラコステなど胸にブランドマークのある服をよく着ていた。
 結婚したらどうでもよくなって、スーパーの安売りで買った980円のトレーナーなどになった。

 子育てで目の回るような毎日におしゃれなど気にする暇もなかった。
 髪の毛も鷲の巣のようにまいくりまくっていた。

 ある日、子供がザリガニを飼いたいとせがむので買ってやった。
 小さな水槽に2匹ザリガニを入れて玄関に置いた。

 子供がうれしがってよく割り箸などでつっついていた。主人が刺身を箸でちぎっては子供に渡し、それを子供が水槽に入れるというのが夕食の定番となっていた。
 子供たちの歓声がよく玄関の方から上がっていた。

 その出来事のあった朝も、わたしは子供二人を自転車の前後に乗せて保育所に向かった。いつもどおり保育所の先生が笑顔で子供を迎えてくれる。

 駆け寄ってきて、子供の肩に手を置いてしゃがむ先生。ふとわたしの方に視線が移った瞬間、先生の笑顔がスーッと消えた。視線は、わたしの左胸のところでピタリととまったままだ。

「あらぁ、それなんですのん?」
 といぶかしげに先生は首をかしげる。やおら鼻先を近づけるなりビッ、ビェ~と悲鳴を上げて尻もちをついた。
 驚いたのはこっちだ。いったい何が起こったのかわからない。

「な、なんでしょうか」
 わたしは動揺を抑え、落ち着いた表情で訊きかえした。

 先生は「あの、それ」としか答えれない。
 わたしも自分の胸元に視線を落とした。

 ん、なんか変なものがトレーナーの胸ついている。
 手のひらで鼻を押さえて顔をゆがめる先生。

 確かに、ちょっと臭い。
 よく見るとハサミを上げたエビのようだ。

 立体なのでブランドマークではない。
 いやブランドマークの付いたトレーナーなんて持ってない。

「ははっ、今朝エビ食べたっけなあ」
 とひとり言を言って、わたしはその殻をピンッと指ではじき飛ばした。ら先生、キャアと短い悲鳴をあげて逃げていった。

 なんだったのだろうと、晩に帰宅したらザリガニがいない!

 えっ。まさか・・・。

 現場検証の結果、朝はじき飛ばしたブツはザリガニさまと判明した。
 水槽から割り箸をつたって逃亡したザリガニさまは、子供が廊下に投げ散らかした洗濯物に潜伏した後、洗濯機にかけられ、さらに乾燥機にかけられ、980円トレーナーのブランドマークになったのである。

 哀れザリガニさま。

 その後ザリガニさまのいなくなった水槽には小亀が入れられた。
 主人が笑いながら、今度は小亀のブランドマークがつくかもな、とおどける。

 あらぬ想像は広がるのだが、絶対に小亀のブランドマークはほしくないと思った。