寒い日の朝だった。
見た夢に驚いて私は体を起こした。
前後は覚えていないが公園のベンチに腰掛けている女性に声をかけたらハツミだと答える。
ええっ、あのハツミが・・・大人のハツミになっている。
わたしが駆け寄ると、ハツミはわたしの名前を呼びながらブランコの方に行って、後ろ姿でブランコをこぎ続けた。
そのあとは私がいくら呼びかけても振り向くことはなかった。
それは思い出すこともなかった霞んだ遠い日の記憶だ。
ハツミとは、わたしが小学校一年か二年の頃に近所にいた同級生。
男の子たちの腕をねじっては泣かせてしまうほどのおてんば。女の子がいじめられていると飛んで行って男子を投げ飛ばしていた。体も一回り大きく同じ学年とは思えなかった。
事情はわからないがある春の日に転向してしまった。営林署の社宅にいたので転勤族だったのだろう。
それにしても、なんで今頃ハツミなんだろう。何かきっかけになるような体験が、起きている間にあったのかと考えてみた。でも、思い当たる節は全くない。
夢は日常の体験や思い浮かべていることが出てくるのではないのか。ハツミのことなどとんと思い返した記憶もない。
それが、夢の中では名字まではっきり言われた。その名字を聞いておおげさに驚いたのを覚えている。
まぁ夢の中のことなのでどうでもいい話なのだが。目が覚めて思い出せないのが少しくやしい。わたしの脳に少し残っていたハツミの本当の苗字だったのかもしれない。
他にも、記憶の引き出しを開けきれてないだけでもっといろんな記憶が自分には残っているのだろうか。
ハツミだけでなく思いもよらぬ人物が。
無理なことだができるなら、自己を司る記憶の総体を見てみたい。いったい何が残っているのか。自分の過去の大パノラマの中を鳥のように羽を広げて俯瞰してみたい。
楽しいことも悲しいことも嫌なことも、この目でもう一度見て楽しみたい。自分の生きた証として、いとおしく寄り添い、駆け寄り、愛でながら。
全て見たら、気がふれてしまうかな。
わたしだけのランダムメモリー。
それは毎夜夢の中で気まぐれに開かれているのだろうか。
そして、そうだな、わたしも誰かの夢に突然現れたりしているのかもしれない。大人になる前のまだあどけない少女になってひょっこりとね。
他人(ひと)の記憶の中に生き続けるというのも悪くないね。
仮想現実な関係は気楽でいい。
ハツミが今どこでどうしているのかはわからないが、これでわたしの記憶の片隅から消えることは一生ない。つまりわたしが生きてる間ハツミも生き続けてるっていうことだ。
そう、そんな記憶を大切にしたい。
何事にも代えがたい宝物として、ひとつひとつ。
わたしの人生そのものとしてこれからもずっと。