まいどー! 有田川ダム上の柴崎おとり店です(^^)/

和歌山県有田川ダム上にある柴崎おとり店のサイトです。 鮎釣りの遊漁券とオトリ鮎を販売しております。 鮎釣りの皆さんお気軽にお越しください(*‘ω‘ *) 柴崎おとり店 〒643-0601 和歌山県有田川町押手770-2 ☎073-726-0413

    有田川ダム上の水況などetc.


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     10月の連休に帰郷した際には祖父は竿を買い換えて軽いものにしていた。

     鮎の漁期としては終盤で多くの釣り人が竿を出していた。


     祖父に「小便するから持っちょいて」と言われ鮎竿を持たされた。

     いきなりバツンッと凄い手応えがあり下手にグイグイと引かれた。


    「早うしもにさがれっ」

     と祖父が小便をしながら振り向いて声を張り上げる。


     僕は足下を確かめながら慎重に瀬を下った。

     が、何度も足下を取られそうになりついにはひっくり返った。


     竿を手放すまいと両手を突き上げて耐えた。

     流されても小さな川なので恐怖心は全くない。


     やっと下手の浅場に到達し掛かり鮎の動きが流れの緩いところで止まった。


     相好を崩した祖父がたも網を持って駆け寄る。

     掛かり鮎は再び抵抗して深みに入ろうとした。


     僕は竿を立ててそれをこらえた。

     祖父が川の中に入って掛かり鮎を追い回しやっとすくい上げた。


     たも網の中でオトリより一回りも二回りも大きな鮎が腹を返した。


     「こりゃでかいわい」

     と祖父が目を細めた。


     僕は全身ずぶ濡れなのに寒さを全く感じなかった。

     楽しい! この釣りは面白いと思った。


     祖父に弟子入りをして鮎釣りのイロハから教えてもらった。

     ただ、僕は転勤族でその時は徳島で働いていて、高知に帰郷したときにしか祖父から直接的な指導を受けられなかった。


     子供の男児二人は小学校に上がったばかりでやんちゃな盛りだ。

     収入も少なく生活は楽ではなかった。


     趣味など楽しめる余裕のない時期に鮎釣りに出会った。

     お金のことで夫婦喧嘩をよくした。


     何が原因かは覚えてないが、離婚をしてやろうとまで思った大喧嘩をしたことがあった。

     ちょうどボーナスの支給日でその頃はまだ現金の入った封筒がそのまま手渡されていた。


     額はよく覚えてないが、手取りは三十万円ほどあったと思う。

     僕はその日帰宅せずにボーナス袋を持ったまま通勤の自家用車で逃走した。


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     鮎釣りは釣りの中ではマイナーな釣りである。

     普通の釣りはハリに付けた餌を魚に食わせて釣り上げるが鮎釣りは違う。


     魚同士を喧嘩させて魚体にハリを引っかけて釣り上げる。

     鮎は川底の石苔を餌にしており、自分のテリトリーに他の鮎が進入してくると猛然と体当たりをして追い払う。

     

     この習性を利用したのが「鮎の友釣り」と呼ばれる独特の釣法だ。


     まず、釣り糸に結わえた直径5ミリ程の鼻カンと呼ばれる輪金具を鮎の鼻の穴に通す。

     鼻カンに繋がれた鮎は釣り人によって操られ、石苔を食んでいる野鮎のテリトリーへと送られる。


     鼻カンに繋がれた鮎をオトリと呼ぶ。

     オトリには釣り針を三本束ねた錨のような引っ掛けバリが仕掛けてある。


     野鮎がオトリに体当たりをすると錨針が野鮎の体に引っかかるという寸法だ。

     水中でもがく野鮎とオトリを素早く引き抜いてタモ網に収める。

     そして掛かった野鮎を今度はオトリとして使用する。

     これが鮎の友釣りだ。


     極意はオトリを如何に自然に泳がせて野鮎のテリトリーに送り込むかだ。

     そのためには長い竿がいる。

     十メートルや九メートルぐらいの長さは必要だ。


     僕が初めて鮎の友釣りをしたのは二十年ほど前のことである。

     お盆休みに高知に帰郷した際に子供らを川遊びに連れて行った。


     傍らでは祖父が鮎の友釣りをしている。

     祖父は興味ありげに見る僕に「ちょっとやってみるか」と竿を持たせた。


     僕は物干し竿のような重たい竿を両手で抱えるように持った。

     しばらくして何となく下手に引かれるような感覚を得る。


    「掛かっちゃあせんか」と祖父に言われて竿を上げたら小鮎が二匹釣り上がってきた。


     なんだこの釣りは、釣れたか釣れていないかもわからない、とこの時はこの釣りをやってみたいという気持ちは全く湧き起らなかった。


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     相変わらずマーモーは元気で、我が家の生活にすっかり慣れきった。小屋の外の牧草に、俯せで両手をべったり広げて、おおっぴらに寝っ転がったりしだした。近づくと、寝そべったまま顔だけ上げて、ちらっと見ると、あぁあんたかみたいな感じで、またもとの体勢で寝っころがったりして。全然動物的な警戒心などあったもんじゃない。まぁ、信用されているって証でもあるが。

     時々、不意打ちで鷲掴みにしてやるのだが、その時ばかりはさすがにもがく。でも、直ぐにもがくのを止め、鼻をヒクヒクさせる。そして、小さな口を思いっきり開けて、欠伸なんかする。やっぱり、信用されているのだ。

     きっとこんな性格じゃ、利己剥き出しの自然界ではやっていけなかっただろう。食物連鎖の底辺の悲劇を、真っ先に浴びせられてるくちだろうよ。まぁ、家族で暮らしていれば別かもしれないけど。それとか親友がいたら助けてくれるかもしんないけど。

     案外こんな暢気な奴に限って、ちゃんと守ってくれる者がつくものなんだ。時には自らを省みず、体を張って守ってくれたりする者が。

     よく考えてみれば、世の中万事利己じゃないんだよな。人助けもあるんだよ。博愛って言うか、利己の反対。ボクはテレビの横にあった辞書を手にとって引いてみた。利己の反対は利他と載っている。利他? なんか変な言葉だけど、まぁ、賢そうに聞こえそうだから、今後、利他って言いましょう。

     ボクだって利他的な行いは、速攻具体に思いつかないけど何度かしてきたはずだぜ。まぁ、それだって、根源的には利己に根ざすもんじゃないのかって言われると、自信ないけどさ。

     他者救済が、自分の利益として返ってくる事を、漠然と結論づけてるところもあるからな。子供の頃から、鶴の恩返しなんかが、事例として鮮明にインプットされてるんだよね。正直、見返りを考えての利他ってのもあるんじゃないのか。つーかそっちの方が多いかもな。でも、そんなんばっかりじゃないっつーのも事実だよな。

     例えば、マーモーが野良猫に襲われそうになったら、ボクは絶対助けるぜ。モルモットからの見返りや恩返しなんて、万が一も期待してないけどさ。まぁ、道ばたで出会った見知らぬ野良モルモットだったら同じようにはいかないけど、マーモーなら絶対助けるよ。

     この動機はやっぱり愛じゃないのかな。愛が大きいか小さいか。愛があるか無いか。野良モルモットでも、判官贔屓で助けるかもしれないけど、それも一種の愛だよな。病原菌の沸いた溝ネズミなら、無視するかあるいは野良猫の方を応援するぜ。

     まぁ、愛だけじゃなくて、救済者に対する信用の度合いってのもあるかもしんないけどさ。
     いずれにせよ、他者救済に直面して利己か利他かの選択を迫られた時、自分への見返りを計算する様な人間にはなりたくないよな。 救済者に対する愛でさっと動きたい。

     助けられる者も、愛情的救済の方が心身共に気持ちよく救われるんじゃないのか。
     でも、実際、自らの命にまで関わる事態に直面したら、そんなきれい事言ってられないかもな。
     この前ニュースで、そんな極限状態での愛の勝利が報道されてたけどさ。

     動物園で、我が子が熊の檻の中に転落し、それを母親が救いに行ったという話。我が子への愛が、自身の身の安全という利己を凌駕した端的な例だけどさ。実際臨場したら、いちいち天秤に掛けてる暇なんか無いんで無意識で檻の中に飛びこんで行っちゃったんだろうね。愛の底力って、計り知れないものがあるよな。

     でも、動物園だったんで助かって愛の勝利だったけど、山の中だったら熊の勝利だったんじゃないのか。なおさら不幸な出来事になるぜ。

     愛にも限界があるってことをリアル考えておかないと、悲劇を大きくする場合もあるよな。
     ボクなんか、どっかで遭難して親子だけになったら、究極の空腹時にどういう行動を取るのかね。
     自分が死にそうなくらい空腹でも、やっぱり子供に与えているか、それとも自分だけガツガツ食っているのか。まぁ、その中間で、均等に分け合うこともあるかな。無意識が働くほどの究極だったら分け合うは無いか。子供か自分かの二者択一。究極の選択だぜ。

     まぁいくら考えても、平常時に答えが出せるはずがないよな。心の深部に潜む愛の底力は、極限状態でしか発揮されないからな。
     そんな極限状態ならいざ知らず、世間には愛のかけらも無い奴がいるよな。

     鬼畜生! 悪の塊みたいな奴がさ。我が子に暴力を振るって、食事も与えず餓死させてしまうような親。それで夫婦そろってパチンコに行ってたなんて、どっか狂ってるぜ。そんな奴ぁ一生無限地獄の土壺にはまってろってんだ。一生じゃないか。死んでからもだから未来永劫ってこと。五十億年後に太陽が爆発しても、ずっと苦しみなさい。ずっと食事抜き! ずっと鞭打ち! 死ぬほど腹ぺこで痛いのがエンドレス。ボクは拳を握りしめた。

    「あんた、ぼーっとしてないでマーモーにキュウリでもあげて。ヒーコヒーコ鳴いてるやんか」
    「ふぇーい」
     家内から現実世界に連行され、冷蔵庫からキュウリを取り出した。
     長男の裕一がリビングに入ってきた。

     パンツが半分出てズボンの裾を引きずっている。何度か注意をしたが効果無しだ。
     まぁ最近はその引きずった裾が、リビングの床を乾拭き掃除してくれているんだと前向きに考えるようにしてはいるが。

     ボクらおやじには、一生理解不能なファッションだ。

     最近、こんな若者を町中でもよく見かける。その度、どうにかしてやろうかという気持ちに駆られる。殿中松の廊下じゃあるまいし、いつかめちゃめちゃ弱そうな奴がそんなかっこうしてたら、各々方各々方って寄っていって、パンツごと全部引っぺがすか、股に食い込むほど釣り上げてやる。他人に対しても、大人が勇気を持って接する。それが教育ってもんじゃないのかな。なかなか出来ないけどさ。

    「僕アメリカ行くわ」
     裕一はおもむろに切り出すと、ソファにふんぞり返った。

    「遠足かぁ?」
     ボクは、キュウリを持ったまま訊き返した。
     私学なら遠足でアメリカぐらいに行くだろう、そう思って何の違和感もなく訊いた。

    「違うよ」
     裕一は一寸照れ笑いした。

    「留学よぉ」
     家内の目がまん丸に開いた。

    「留学って・・・・・・あんたアメリカの行き方知ってるんか」
     家内の質問も変だ。
     裕一はぼそぼそ続けた。

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